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2005年2月24日(木)
おかみさ〜ん、初日ですよ。
今までの開業までのばたばたを読み続けてくださってありがとうございました。
今後は営業日記でその後のばたばたをお楽しみ下さいませ。
こんな風に飛び飛びながらでも書き続けていましたら、ヒロシさんというファンがついてくれました。
このヒロシさんは、同名で二人も三人もいるようで、本当は誰が誰やらわからないのですが、とても楽しかったです。
是非この続きをお店のほうでお願いします。
では、では。
2005年2月23日(水)
お誕生日
実はまだメニューデザインができていません。
今回は店舗工事の部分を除いて他はほぼ私一人で企画計画デザインしてきましたので、あとからあとから整えなければいけない事柄が溢れ出てきます。今までは素人ながら店舗カラーやロゴ、看板デザイン、チラシ、募集デザイン、Tシャツデザインなど組み立ててきました。
でも、メニューについては、いまだ構想が浮かんでいません。
急場しのぎにとりあえず金額だけわかるものをプリントアウトしましたが、これは大きなやり残しです。
といったことにきゅうきゅうとしながら今日はお誕生日。夜に娘がお花を届けに寄ってくれました。
息子も始めて登場し、ささやかなお誕生会になりました。
それでも彼らは、チーズフォンデュと豚鍋とサラダ、娘はカクテルを3杯飲み、息子はウーロン茶を2杯飲み、ざっと計算で5000円を平らげて元を取り戻しました。

明日から。
明日から、お金をいただく商売になります。清潔に気持ちの良い、満足いただける仕事をして、スタッフと三人で山分けできるくらいな売上を目指そう、と目論んでおります。
皆様、本当に、末永く、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2005年2月22日(火)
どたばたと
想像はしていましたが、のっけからパニックになるとは…。
午後5時半から内外装に関わってくださった職方の皆様、仲介さん、大家さん、信金さんをお招きしての慰労会が始まりました。
まず、メインメニューのピザで、オーブンが温度調節できないタイプとわかり金さんはガス栓との格闘。
私は「ウーロンハイ」とオーダーされてサワーの樽の前でうろうろと「ハイって何?ハイって昨日教わった中にありました?」という騒ぎ。
豚鍋も出汁の準備ができないうちにコンロだけセッティングしてしまい、長い時間待ちわびさせてしまいました。
温かいウーロン茶といわれてレンジにかけすぎて持てないほどチンチンに。会が半ば手前頃になって、催促されてようやくまだおしぼりをお出ししていないことに気づき…、このおしぼりをつくるにあたっては、たった30本くらいのおしぼりを洗って搾っただけで手の指の皮が3本もベロベロむけてしまったり…。
普段、家で何気なくできていることまでもがパニック、パニック、の連続でした。

でも2時間ほどのこの闘いは有意義で、充実していて、職方の皆様、仲介さん、大家さんとも、この先これきりではないな、という感触を得ることができました。
明日一日は静かに過ごす時間があります。
細部をつめて、極力不足のないよう、といってもまだ準備し残していることがたくさんありそうです。
さぁ、ガンバルぞッ!!!
2005年2月21日(月)
合格!
今日は保健所の審査日でした。
厨房、カウンター、お手洗いを確認し、24日には営業許可書が発行される運びとなりました。
25日は完全オープンです。(でも心のスケジュールでは23日がアニバーサリーです。)
飲食業に全くの素人の私が、ここまでこぎつけるのに多くの皆様のお力が必要でした。そして本当に多くの方のお力をお借りしました。
夜8時を回って、酒屋さんのカクテルレッスンを受け、おぼつかない手つきで作った初カクテルはモスコミュールです。
そして、ビアサーバーから生ビールを注ぎ、巨峰サワーとグレープフルーツサワーを作りました。3杯目のビールは注ぎ終わりを失敗してジャージャーとこぼしてしまいました。
料理人の金さんは鳥むね肉の塩焼きと豚タン、レバーのスライス(これは私は初めての料理でした。少し固めでしたが、レバーと思えず、タンと思えず、おいしかったです。)それからシーザーサラダ、ご飯は玄米ご飯を炊いてくれました。
ちょうど娘が歯医者さんの帰りだと言って寄っていたので、ADSLの接続を手伝ってもらいました。
こんな風にワサワサと料理とお酒を揃え、スタッフ二人、酒屋さん、娘と私の五人でTera'sのこれからを乾杯しました
片付けを終えて12時近くになりましたが、良いスタートが切れそうな気がします。
22日はその方々をお招きしての慰労会です。いろいろ尽力していただいた仲介さん、チーム弓田の皆様、千葉の厨房屋さん、大家さん、信用金庫の方、酒屋さん、開店を楽しみにしていてくださったお隣の『ひいらぎ』の美人ママ、お肉の『おおしま』のマスターも寄ってくれるかもしれません。
23日は調理の一人がお休みなのでメニュー通りの料理をお出しできませんが、寄っていただければ私が望んでいた空間がどのようなものであったか理解していただけるように思います。

皆様、本当にありがとうございました。そして、これからTera'sを可愛がってください。
24日からは営業日記に入ります。どうぞよろしくお願いいたします。
2005年2月20日(日)
心の準備というけれど
週があけていよいよですね。
何をどうしてもばたばたして…。今日は焼きビビンバを試食しようということになり、初釜、初ガス、初調理…のはずが全工程でアクシデント発生。
初釜はコンセントの形が異なりました。急遽ムラウチまで飛んで3つ口のコンセントを購入したのですが、今度は縦横の形が違い、結局今日はご飯を炊くことができませんでした。
お隣のampmで出来合いのご飯を買ってきて間に合わせようとしたまではよかったのですが、次に初ガスでまたまたミスです。ライターというかチャッカマンというか、ガス台が自動点火形式のものではなかったので種火につける火がありません。
またまたampmで100円ライターを買ってきました。そして初調理です。さぁ、今度は何?実は石焼の器を掴むハサミというか、ペンチというか、それを買い忘れ、工具のペンチを使用しました。。。何だかなぁ、まったくなぁ、本当に大丈かいなぁ
でもね、それはきっとメインメニューになるだろう気配で、とてもおいしかったです。このようにメニュー構成は充実してきました。
三人がそれぞれできることを持ち寄った結果、昼は味噌焼丼をメーンに、日替わりを2種類、夜は石焼ビビンバや水餃子、豚しゃぶ、豚、鳥の塩焼き、ピザも焼けばグラタン、パスタもオーダー可能、タコやまぐろのカルパッチョ、山芋のサラダ、汁かけ、と、本当に盛りだくさんになりました。
これらをボードメニューで紹介してゆきます。
皆様本当に本当にどうぞお楽しみに。
2005年2月19日(土)
達人チーム
大工さんに最後におねだりをしたレジ台は、ホビーで買うほうが安かったと大工さんを嘆かせました。そして今日はテレビの受信状態がよくないと、電気屋さんを泣かせました。

最初に接続した線はケーブル用のラインだったようで、我がVAIOはうんともすんともは言うんですが、画像が来ない、音声が来ない、砂塵さえも来ないということで、電気屋さんが持ち込んだモニターで確認したところ、やはりアンテナ線が違うんじゃないかと電気屋さんのプロ意識に火をつけてしまいました。
まっさらの壁を上から下へコツコツたたき、金属探知機で右から左へ探り、あたりをつけた壁のそこここに細い釘をぷすぷすさして、「ここにある。」と壁の1点を確信するのです。
彼は出来上がっていた壁にドライバーを突き立て、3、4センチ四方くらい穴を開けました。そして、粉々になった石膏ボードのかけらの向こうから、何と、アンテナ線の末端を引っ張りだしたのです。
それはもう神業としかいいようがありません。その経験の素晴らしさ、そして天井裏にもぐりこんで他の壁を傷つけることなく配線を完了させた大工さんとのチームワーク。
完璧です。
私はうなるばかりです。一日中雪と雨の寒い日の今日のことに限らず、今回、このお店を作り上げる作業に関わって下さった業者さんのそれぞれの仕事ぶりは、このように私に驚嘆と憧憬と尊敬を与え、そして感動と感激と人の感情の喜怒哀楽の喜々の部分を堪能させてくれました。
なおも彼らは、3時過ぎから7時近くまで4時間ほども及んだ作業に愚痴のひとつ言うでなく、無事接続できたことのみ喜んで引き上げるのです。
これで一ヶ月、仕事が終わってしまってこの方達と別れるの、何ともつまらない。達人 のワザにもう少し囲まれていたい気がします。現実にそうも言ってられないのは重々承知しているのですが…。
2005年2月18日(金)
かっこいい!!
葡萄棚は30センチ上に引き上げてもらうと、何ということでしょう(Before After風で)ほとんど気にならなくなりました。
そして電球を60ワットから20ワットに変え、さらに明暗のコントローラーを設置してもらい…、結果、よいッ!!!!!
よいッ!本当によいッです。よくなりました。葡萄棚ももう平気です。
夕方酒屋さんが見え、芋だの麦だの陳列すると、もうそれなり!そのときちょうどDuke Ellingtonなんかかけていて、あ〜、もう、うっとり。
皆様をお待たせした甲斐がありました。
たぶん嘘ではないですよ。午後にお隣のお店の方が見えて、「素敵。」の10連発していってくれましたから、ご祝儀半分としてもきっとそんなに悪くないはずです。
トイレも初期には丸い手水鉢と考えていたのが、あっさりごく普通の普通のお手洗いになりましたが、それもそれなりに可愛らしく見え、調理台は引き出し無しが届いたって、ケデップ鍋が鍋しか届かなかったって、仕事場を確保できたこと含めてもう全ていとおしい。
皆様、本当にお待たせいたしました。来週からどうぞ寄ってください。
2005年2月17日(木)
こち吹かば
主はここにおります。梅は咲いたか、桜はまだか、春よこい。

葡萄畑に少し目がなれてきました。
が、またまた不手際発覚。浄水器が設置されませんでした。うぇ〜ん、54000円もしたのよ…、おいしいお水にしようと思って…。気づいたのが配管が終わって水道屋さんが引き上げる間際。製氷機の上に置かれたままの浄水器発見。
もう、がっくり…。
まぁ、浄水器なしでも特に問題がないといえばないだろうけど、全く残念〜ッ!と笑って笑って、しか仕方ないか。ツメの甘さでいろいろ起きますな。

お肉やさんにお肉とくんせいと馬刺しを発注。あー、いよいよです。
2005年2月16日(水)
どうしよう…


…葡萄みたい…


どうしよう…、どうしよう…、どうしよう…。
今日は電気屋さんがきて照明器具がつきました。

調理器具の調達を終えてお店に戻って天井からの贈り物を見たとき、ちょっと言葉を飲み込んでしまいました。
昨日の建具屋さんのことがあって、ただの素人の私は、もう、どうしよう…、まるで、天井から葡萄がいっぱい垂れ下がっているみたい…。
天井が高くて格子がはまっているので、埋め込みはやめた方がよいとアドバイスを受けて、吊り下げにしたんですが、あー、どうしよう、この葡萄畑状態……。本当にちょっと絶句…。
これまでにも何度かクレームをいれたことがありました。
天井を黄緑色に塗られたとき、うあ〜、といってこれは塗りなおしてもらいました。トイレの壁紙が注文と違う、これは1年後、無料で張り替えてもらうことになりました。
入口のドアがイメージと違う、子戸の方は横格子の枠をつけてもらい、親戸の方はシール張るとか他の方法で解決することにしました。じゃ、この葡萄畑は…。22日、慰労会の終わったあと、2、3台はずして、下げ位置をもう少し高めにして…、それで何とかイメージ収まるかなぁ…。
限られた予算の中でイメージを理解してもらうことの大変さをつくづく感じるただの素人の私です。

うぎゃぁ〜、本当にどうやって解決しよう。全部プラスチックだし…。
2005年2月15日(火)
建具屋さんと内装屋さん


看板がたちました




ドアがつきました

建具屋さんはイタリアン。 
今度の調理スタッフはイタ飯出身という話の延長で、 
「タコのから揚げはうめえなぁ。」「おいしいですよね、柔らかくから揚げするの、難しいけど。」 
「薄く切って野菜と一緒に盛り付けるの、なんつったけなぁ、おぅ、カルパッチョだ、カルパッチョ。水菜とかとドレッシングで食べるとうめぇよなぁ。」 
「何だな、ひとつの料理に決めちまうと客がそれきりになるけど、いろんな料理出してリピーターつぅの来るようになるといいなぁ。」「凄いですね。いろいろご存知で。」 
「何だ、建具屋さんはいろんな英語知ってるなぁ。」とここで内装屋さんが話に加わってきました。 
「そうだよ、よく知ってるよぉ。建具屋つうのは建具屋しか知らねぇけど、あんたたちの内装屋ってのはインテリアつうんだぜ。」 
「俺たちはインテリアか、インテリアなんていわれてもその人どなた?ってなもんで、内装屋って言う方がぴんとくるなぁ。」

んー、面白い! 面白いけど建具屋さんは星一徹よりこわい。

ドアの横棒の間隔がイメージより広すぎるとクレーム入れたら、「素人にはわかんないだろうけど、何枚も絵を描いてギリギリのこの幅で作ったんだ。あんた、コーディネーター?」
「いや、ただの素人ですが。」ここは、こーでねぇと…、って言えませんでした。

22日にこの方々の慰労会をします。
そして、じゃーん、大変永らくお待たせいたしました。24日〜26日はプレオープン、動線確立のためのご意見承り期間です。10%OFFで皆様をお待ち申し上げます。今回は特に開店記念の記念品等の準備はございませんので悪しからず。 
23日は?って、えー、その日は次期天皇誕生日、私の誕生日で、きっと、とろとろ営業しています。
28日は高校生をご飯いっぱいで釣り上げてきてビラ配らせる予定です。(ここね、まだいい返事もらえてないの。最近の高校生、楽することしか考えないから。)  
では、皆様、お待ちいたしております。ONE BEER GET券も持ってきてくださいね。疲労死、ちゃんとイキしててよ。
2005年2月14日(月)
VALENTINE いとしのキミは…
ぴろしッ!!先は見えているだッ、くたばるなッ!希望を持てッ!!!
はぁ〜、感嘆符をいっぱいつけると結構疲れますね。

今日は喜ぶ男の子は喜ぶ、HAPPY VALENTINE ーー(黙)。
ぴろしッ、調子はどう?トラックいっぱい届きましたか?

クロス張りのおじさん達にイタリー製のFERREROのチョコをあげました。一人のおじさんが「義理チョコでもこんなの貰うと惚れちゃうよ。」とこ憎らしいことを言うので、「望むところです。かかってきなさいっ。」と笑顔で返しましたがノーリアクションでした。
むー。

電話工事が終了しました。さっそく電話機を接続しようとしてコンセントがまだ未工事だと気づきました。バカだ〜っ。それで諦めたところ、大工さんが「FAXじゃなければコンセント無くてもつながるんじないの?」
…そうですよね。パソコンにつないだわけでもないのに、ますますバカだぁ〜。

このようにバタバタと開店までラストスパートしております…。
2005年2月12日(土)
きゃぁ〜、200突破!
今度のキリ番は私自身が抑えようと思っていたのに、やられたぁー。
皆さんにビール『いっぱい!』とぬか喜びさせた罪なやつ、あーしくじった〜♪(椎名林檎)しくじった。今回はどなたですか〜?
これまで『疲労死』はきっちり『ヒロシ』だと勘違いしてましたが、『しんすけ』のしわざと判明。ちっ、すっかりオーシャンズ12されちまったぜっ。
ヒロシにしては『疲労死』は結構ヒットと思ってましたから、わぉ、死ぬほど今仕事忙しいんやなぁ、と同情してたけれど、騙されちゃってのけぞり〜!

めきめきお店の中が出来上がってきました。 Y(^^)!
以前知人に『きっと、いいお店になると思います。何てったって私が裏方に引っ込むんだから(^_^;)』とメールしました。その時は私自身が厨房に入る予定でしたので。ところが厨房をお任せできるスタッフに恵まれ、私はカウンターに出るはめになりそうです。
いいのかなぁ、カウンターは顔がイノキ(イノチ)なのに…。ダーッ、こわい。
2005年2月10日(木)
ブルーカラーには目がくらむ
大工さんに水道屋さん、ガス屋さん、エアコン屋さん、電気屋さん、左官屋さん、建具屋さん、塗装屋さん、厨房屋さん…。
あー、この方々のなんと良い顔立ち、表情、もう、ほんと、ほれぼれします。
なんで皆、そんなに雰囲気よいの?
と、材木屋の娘の話は置いといて、天井の格子、カウンター、いよいよかっこよくなってきました。
さて、面接その後。
時給を抑えての募集でした。周囲の意見では、調理という専門分野でこの時給では人材は集まらないだろうということでした。
自分自身でも職業を選択するときに、まず仕事の内容を見るでしょう。それから時給を見るでしょう。生活を抱えての選択ならなおのこと、時給の高い募集を目に留めるでしょう。
それでも今回は、時給で応募してくれるな、仕事が好きで応募してくれ、という意図をこめて掲載してもらいました。
そして、まさにその意図を汲んでくれたかのように経験も人柄も魅力的な方々が応募してくれました。
どなたも甲乙つけがたく、私はお会いしてまず、時給の低い、小さな枠に目をとめてくれたことにお礼を述べました。
昼希望の方は面接後にもわざわざ電話をくれ、「自分のことばかりをお話してしまい、肝心なことを言い忘れました。是非働かせてください。」
この方は私に手を見せてくれました。最初、意味がわかりませんでしたが、その手はとてもよく働く手だ、ということが十分理解できました。
ただ、昼夜厨房希望の方もいて、すると昼2名はコスト高になってしまい、うー、どうしよう…。
昨夜のサッカー日朝戦も感動的でしたし、募集もまさか良い人がダブって悩むとは…。

お日枝さんのご加護でしょうか。(別にフジテレビの人のことじゃないですよ。)
2005年2月9日(水)
今日はお肉の特売日
募集の反響は月曜日がたったの2名でしたので、さてもさてもなんてるちーや、とてもがっかりしたのです。
でもこの方達はこの条件でよく応募してくれました、と、私を安心させるに足るとてもありがたい応募者でした。
今回はチラシだけでなく、フリーペーパーの方の反響も出るはずだから16日あたりまで様子を見ろと広告会社からいわれていたのですが、それにつけても無しのつぶてよ、と、カンカラ蹴飛ばしたい気分で火曜日を迎えました。
火曜日は3人の問い合わせがありました。 そういえば自分自身のことを考えてみると、リストラになったとき広告見てから2、3日あとからでも連絡いれていたな、と思い至ります。
これくらいで滅げていてはいけません。人間辛抱じゃけんね。
よかった、よかった、まったく無反応だったら、キャッチの悪さをケチつけられるところです。これでも昔々には『キャッチコピー・キャプションの部』で佳作をとったことあるんだぞ、と。(マイナーなオーディションだったけど…)
やだねぇ、過去の栄光を思わせぶりにするなんて…。

と、選択肢が増えてちょっと元気が回復してきたところで、こらっ、ヒロシ、なんばしよっとかいね、この子は、ほんなこつぅ、、、
そろそろオリジナルで攻めてきてくれ。
2005年2月6日(日)
さあ、反応は?


ここで野菜がうまれます




いい風景です

昨日、お米や野菜、お肉の産地を回りました。
お米はほぼ一年分の量を契約することができました。
お肉も、話し合っているうちに「豚しゃぶはどうだ。」という話になり、あいにく食肉センターには在庫が無く、地元で有名なお肉やさんで三枚肉のブロックを調達してきて試食になりました。
いけます。
メニュー決定です。あのケデップの鍋でやります。仕上げにうどんひと玉、もしくはご飯一膳つけていかがでしょう。

平野部はほとんどというより、まったく雪がなく、これなら車で来られたな、と思ったのですが、山間部に入るとさすがに前日に降ったという雪が畑一面残っていました。
でも今冬の雪はほぼ新潟に集約されてしまったように思われるくらいあっさりした雪の量です。
新潟、ガンバレ。

この写真を見てください。なんと清廉、清れつな空気。この日と水と風の中でおいしい野菜を育てていただきます。
いよいよ頑張って料理します。

今日は募集の広告が掲載されますが、どんな方の目に留まり応募してくれるでしょう。
店や材料はそろいつつあります。是非よい方に来ていただきたい。
2005年2月3日(木)
節分だ、明日は立春だ、さあ、大殺界から脱出だぁ。
2日に免許の更新に府中まで出かけました。35`未満オーバーで免停手前でつかまっちまってるので…。 ( ̄_ ̄;)
受付して、申請書記入して、印紙購入して、視力検査受けて、写真撮影して、講習受けて、飲酒運転事故の切ないビデオ見て、丹下段平発見して帰ってきました。
受講室がほぼ満室になり、席の後ろ側から係官が何点か注意項目の確認を述べていたときです。そのおじさんが突然がなり始めました。
「俺は何のために一番前の席に座ったと思ってんだよ!聞こえねぇからわざわざ前に変えてくれって言ったじゃねぇか!そんな後ろでもの喋ったって聞こえねぇじゃねえか!前来て喋れ!前で!!」
何で昼からそんなに元気あるの?と聞き返したいくらいな喧嘩口調の大きなだみ声、隣のおじさんが「これくらいで聞こえないなら免許とれないぞッ。」後ろの席から「静かにしろよッ!」「うるせえよッ!」
「朝5時起きで県境いから来てんだぞッ!免許失効してるからって、違反してるからって、あっちこっち回しやがって、説明きちんとしろってんだ!」「うるせぇ!」「だまれッ!」「静かにし、ろ、よッ!」この口調はホリさんが真似するキムタクっぽかったです…。
そうなんだ、違反して、失効して、県境いから5時起きで来てんだ…。で?どうしたいの?どうされたいの?
文句言って、赤の他人からこてんぱんに言い返されて、背中に『J.YABUKI』のロゴの付いたジャージ着て白髪のちょんまげはどう見ても丹下段平にちょんまげのかつらを被せたみたいだったけど、愚図愚図言ってどうしたかったのかなぁ。

教訓→飲まずに騒ぐな!そして、飲んだら乗るな!飲酒運転は御法度です!
2005年1月31日(月)
あっという間に1月行くぞぉ〜。
1月行く、2月逃げる、3月猿、おっといけねぇ、西田、ヒロシ、しちまった…。くまさんが、くまった、くまった、と頭を抱える…。
早いやねぇ、今日で1月終わりじゃけんね。とろとろしとられんね。

ということで、西田、ヒロシさま & 島田、しんすけさま 面白いのでビール一杯確保〜!
めでたい、めでたい。皆様、どうぞおきばりやす。
2005年1月29日(土)
ほぼそろったかな。


壁の木地がはられました




クーラーも取り付けました
気の早いことに、先週あたりからチョコレート売り場のチョコが充実してきていて、チョコ好きの私としてはうれしい限り。大工さん達にもバレンタインのチョコですよ、と言っていちごのムースチョコを届けました。
苦笑いされました。やっぱり、早すぎましたかね。

内装工事は入り口に木枠が入り、天井にクーラーが吊られ、この1週間で、ただのスケルトンだった箱が実体のイメージを伴って具現しはじめました。
天井むき出しの案は、階上の配管がむき出しのままでは保健所の許可が下りないということがわかり、結局初期の和風モダンのイメージに落ち着きそうです。
いろいろ運び込む厨房機材や備品もほぼ決まり、残るはスタッフ、最大にして最難関、ここにどんな方々が集まってくれるのでしょう。楽しみです。

備品といえば、ずっと一人用のフォンデュセットを探していたのですが、φ13pの手ごろなケデップフォンデュセットという可愛い器を見つけました。1客¥6500円はちょっと痛いけれど、フォンデュは勿論、グラタンにも使えるし、鍋うどん用やらサラダ用やら、いろいろ使い回しができそうなので6客分用意しました。
これが食器の中では今のところ一番高い買い物です。早くお客さんにお披露目したいですね。
2005年1月26日(水)
ある日目が覚めると…。






大工さんの道具




こんな椅子をおきます




こんな葉っぱもおきます
今までがらんどうだった空間に光がともされています。
皆様、随分お待たせして申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さいませ。
特に『西田、ヒロシ』さま、まだネタの在庫あります?オープンまで頑張って書き続けて下さい。

大工さんは苦情言われながら一生懸命頑張ってくださってます。
挨拶に回ったのは1Fの各店舗部分の方々のみでしたので、階上の住人の方々はきっと「うるせぇ〜。」なんて思っているかもしれません。
重ね重ね大変申し訳ありません。しばらくのご辛抱を。

朝に小雪が舞ったりして、こんな日の工事は寒くてさぞかし大変でしょう。屋内だから火も焚けないし、扉もまだついていない。
その分、是非温かい店にしようね。暢気にあったかくご飯を食べてお酒が飲める店。

今夜の我が家のメニューはオニオンのハム巻き、肉餃子でした。普段の餃子は白菜やにらの量が多いのですが、今日はキャベツとネギで野菜は少なめ、マヨネーズを入れての肉餃子にしてみました。
気づいたときにはハムのお皿に盛り合わせたイチゴは全部息子に片付けられていました。
昨日は小鰯の一口フライとハリハリのサラダ、580円でげっとした中トロ風なまぐろは大正解のおいしさでした。

最近は息子と二人の食卓なので食卓に上る品数もメニューも一時より随分減りました。
あれこれメニューやら仕度やら、それだけを考えて過ごせばよいのはそれはそれで幸せなことかもしれないと思う今日この頃…。
さて明日は、エアコンの配管と配線の立会いです。
2005年1月21日(金)
京王線新宿駅で
朝の混雑時です。
JR連絡口の改札に向かって駅の階段を昇りきったとき二人の人物が私の目に飛び込みました。
一人は仕立てのよいオーバーコートを着た昔ラガーメン?風な紳士然とした人。もう一人はこれまた高そうな皮のジャケットを着た背の高い若者。
ちょっと見に、私は父が息子に何か指示しているような感じを受けたのですが、怪しいのは二人の距離が異常に接近していたこと、で、何やってんだろ、と、私の注意をひいたのです。
次の瞬間、若者が紳士を柱に押し付け、その胸元を掴みあげたのです。「何をするんだ。」紳士が呻くように静かに言葉を発して私は心の中で「何をするんだ!」と悲鳴をあげました。
身に着けている雰囲気からしてそんなに生活もえぐそうじゃない、そんな二人が何を争うの、ちゃんと話をしたらよい、えへらえへら、と穏やかな笑顔で彼らに近づいて「何をなさっているのですか。」
私がへらへらしているのを見たら彼らはきっと戦意喪失するでしょう。ここで一番かっこいいのは私だわね…。

ごめん、私は心の中で「何をするんだ!」と叫んだ瞬間貧血を起こしていて、顔面蒼白、息も絶え絶え、歩行困難、改札口までやっとの思いで歩み寄り、そこにいた駅員さんに「あそこで男の人が二人、もみあっている。」と告げるのが精一杯でした。
駅員さんは瀕死の私には目もくれず、脱兎のごとく私の指差す方向へ向かっていました。

はぁ〜…。

若者よ、年上の人と年下の人には拳を振るうな。
時と場合による、なんて息子は言うが、極力振るうな。
君らの体格と体力にはもうかなわないのだ。
半世紀ほど生きていると最後の砦、頼みの『おばさんの知恵袋』だって、「ほら、あれよ、あれ。」と繰り返すばかりで、「おばさんのヒントはヒントにならない。間違いないッ。」なんて長井君に言われちゃったりするくらいで全く役に立たないんです。

それにしても、混雑のその他大勢、どうして皆さんそんなに無関心なの?日常を急いでいた人ばかりではないでしょうに、何故皆気づかないふりをするのでしょう。
もしかしたら、今目にした瞬間が『今そこにある危機』の発端だったかもしれないのに、私を含めて世間はやはり自分のことでいっぱいいっぱいか…。

ところでところで、ぱんぱかぱ〜ん、カウンターが『100』になりますね!どなたか存じませんが読んでいて下さってありがとうございます。
『100』をあけた方、印刷して証拠とっておいてください。ビール1杯FOR YOU!!
Tera’sの宣伝部長(前の会社の上司です。)かな、宣伝次長(いつも行く美容院のマスターです。)かな?それともそれとも-。
2005年1月20日(木)
明日は千葉だ
信じられない話。

6番目の内装屋さんの話が抜けていたように思います。
実は今回の内装屋さんが決定する前にもう一かた、厨房やさんの紹介で別の内装屋さんに打診ををする機会がありました。
条件は、今まででほぼ決定の業者さんの金額をさらに消費税込みで仕事をする、やりがいありそうな物件だ、是非やらせてくれ、という熱心さで私を喜ばせたのです。
即座に図面と見積もりを依頼しました。しかし届いたのは図面のみで、見積もりについては「最初に金額が決まっているので」というお話でした。
そのニュアンスには違和感を覚えました。つまり、こちらの要求はたとえば500万の仕事を400万でしてもらう、ということであって、400万の仕事を400万でする、ということではないのでした。
使用する材料の見当がつかないことは不安です。金額的には悪くない話でしたが、私は牧師さん風業者を選択したのです。
その結果を伝えた途端、あの『たいそう美人』な副店長さんの厨房やさんから連絡が切れました。
二度ほど見積もりについて連絡をくれるよう催促の電話をしたのですがらちがあかず、今日は店舗を訪れてみました。
すると、何週間か前のあの応対とは打って変わって、あらまぁ…。(なに?内装屋さんと厨房やさん、何か関係のある方々だったの?)
見積もりの出ない厨房器具はひとまず置いておいて、椅子と飾りだなだけでも抑えておこうと思ったところ、店内に『配送無料』のチラシがあちらこちら張ってあるのに「店内商品については配送料金いただきます。」「お届け日までの保管料いただきます。」
あらまぁ…。では、椅子は厨房器具が確定したときに同時配達でもいいかな、と飾りだなのみお持ち帰りにしました。
すると、陳列してあったそのまま、埃をぬぐうでもなく、簡単な包装を施すでもなく、わさわさと私の車の後部に積み込みました。

……。ありえねー。商品への愛着とかって皆無〜?
美人に弱いっちゃあ弱い私も私だけど…。なんだな、きれいなバラにはとげがある、ってとこかな。

まぁ、そういう商売やっているうちはまだまだ未熟もんで、そういう人にころりと手のひら返される私も相当未熟もんで(--;)

とりあえず明日はおいしいもんでも食べに千葉は松戸へ行くど〜ッ!!あっ!おいしいもんは銚子の方かぁ?ありえねー。残念ッ。
2005年1月15日(土)
対価と評価
拝啓 プロフェッサー中村

お気持ちは大変よくわかりますが、願わくば『BE COOL』
お声をひっくり返さないで。こういうときこそウーハーウーハー重低音。こうみえてもあなたのファンですから。
日亜の一連を見ているといかに初期判断が大切かということがよくわかります。
よほどTOPに志高く懐深く味わいのある方がいないか、教授がたまたま巡り合えなかったか、おおよそ、そのくらいな理由しか見当たりません。
わしの生き方じゃ、笑わば笑え、あたりにしておく方がいいかも、なんて人事に思っています。
ま、どちらかと言えば私はアシモ君やHRP-2君の話の方が好きかな。あのシナは最高!
さて、こちらの わしの生き方 は、いよいよ来週から内装工事着手です。厨房機材は火曜日あたりの発注になるでしょう。
電話番号も決まりました。電話は申し込みを終えた翌日にKDDIの取次店から営業が見えました。スーツ姿から何からまだまだ新人、名刺を貰うまで気がつきませんでしたが、なんと小学校、中学校、長女と同窓の子ではありませんか。あらら、肩書きはしっかり『営業部長』。ほんとうか〜?いいのいいの、小さい会社だから、なんて照れずにガンバレ!でも本当はまだ21歳、なんだよね。肩書きで仕事するとは思わないけど、初々しくて妙にかっこよかったさ。
中村教授、能力がなければアメリカに渡ったってダメ、なんてことおっしゃらないで、こういう新人が少ないお給料の中から日本の国に税金を納め、経済の多少を動かしているということをどうぞお忘れなく。

考えてみれば、長女と同窓の子が社会にばりばり出てくることは何の不思議もありません。私自身半世紀を生きているのよ、ありゃぁ、それはそれで、すごいこっちゃぁ〜。
2005年1月8日(土)
末広がり
午前中、エアコンの業者さんの現場調査に立会いました。
北表面と南裏を開放するとなんと風の通りがよくて、しかも今時その冷たいこと冷たいこと。冬には店内の足元に温風とか欲しくなるかな。
お隣のお隣のお肉やさんのご主人が様子を見に来られ「決まったんだ…。」 −よろしく。
まだ周辺のお店の方にご挨拶していませんが、皆様どうぞよろしく。
前の道路で信号待ちしていた知人が車の中から私に気づいて声をかけてくれます。「飲みに来ますからねぇ〜。」

この場所なんだ。私のセカンドステージはこの場所から始まるんだ。

午後には酒屋さんと打ち合わせをしました。
そして夕刻には内装屋さんと打ち合わせをしました。内装屋さんは最終6社から見積もりを頂いたことになりました。
思い返せば一番最初の同窓生の見積もりや線引きが一番プロらしかった印象があります。そこには担当する業種、メーンの売りが何かということで大きな差がでたように思います。
同窓生はこれまでにもずっと案じてくれていて、その都度アドバイスをくれましたが、足回りやケアを考え、仲介さんの紹介してくれたあの牧師さん風な地元の業者さんにお願いすることにしました。
同窓生の小松さん、本当にありがとう!!あなたが感じる以上に私は感謝しています。本当にありがとう。
厨房機材も酒屋さん紹介のお店の副店長さんが(若い!!しかもたいそう美人!!)とても熱心にいろいろアドバイスをくれ、他2社から取り寄せた見積書の中でも一番勉強してくれていました。今更ながら人のネットワークって凄いなあと感じ入る次第。
自分で取捨できる情報には限りがあるのは確かです。

こうして総額800万まで絞り込んできました。何とかできそうな現実的な数字が現れ始め、また一段階段を昇ったという実感があります。
ここまでに時間がかかり、焦燥した時期もありますが、これらの作業は結局会社勤めしながらではやはり難しかったでしょう。

あとひと踏ん張り。
台風被災の方々も地震被災の方々も大津波被災の方々も、みんな、ガンバル!みんなで、ガンバル!
2005年1月3日(月)
祓いたまえ、清めたまえ、守りたまえ
あけましておめでとうございます。

今年の私はジーコ監督と同じ星回りらしいので、おおいに力付けられます。

近所にある日枝神社に御参りにいきました。実は私は神社詣ではあまり上手ではありません。いや、そればかりではなく生き方全て上手ではないのですが、特に『祈る』ということが上手ではないように思います。
立居振舞いが美しく、見ていてはっとするほどほれぼれするような人にたま〜に出会ったりするとその日一日『ラッキーッ』とかって思ったりするのですが、私自身はうんざりするほどほんッと下手です。
何がどう下手かって、神社に行くとまず、照れてします。
何に照れるかというと、第一にその行為が年にいっぺんであるということ、第二に礼を知らないので、マニュアル確認から入ってしまうこと、お清めの言葉を三回唱えて、二拝、二拍、一礼、と確認しながら二拍し終わっていたりするので入り損ねた二拝はどうすればよいかなんて悩んでしまうわけです。
仕切りなおしといわけにもいかないだろうなぁ、と、やはり今年も記帳してご宝銭をいただいて、照れてそそくさと帰ってくるのです。

この神社は長女が幼稚園の頃に存在を知って以来のお付き合いです。
高台にあって木々に囲まれ、周辺にマンション等もありますが賑々しくなく、遠くに富士山を望むこともできます。
長女の七つの祝いの写真はこの神社を背景に撮りました。長男は五つの祝いも何も、彼はとにかく恥ずかしがって恥ずかしがって逃げ回り、とうとう神社を抱えての写真は一葉にもおさまりませんでした。
その頃からの折々がこの神社に来ると思い出されます。

ほんとうに面白いエピソードがたくさんあります。
そうだ、そうだ、あんなこと、こんなこと、と一人にやにやしながらの帰り道、今年は一年初体験づくしで大変だろうけど、とにかくこんなふうに笑顔を絶やさずいこう、こんなふうににこにこしながら頑張ろうと思うのです。とても月並みだけど、そんなふうに思うのです。

そういえば、昨日のさんまさんの番組の掛け軸にあったなぁ、
『笑う50に福来たる』って。
2004年12月31日(金)
どうぞ、よいお年を!
手が洗剤まみれで、こんな手でパソコン打ってもいいの?と自問自答しながら掃除の合間に一筆。
と思ったけれど、あー、いかん、いかん、マウスに油カスが…。
実は、小田和正さんなんかかけながらお掃除始めていました。換気扇をはずしたところで、ちょっと窓の外を見るとものすごい大雪…。見る間に真白な世界が現れていて暫く手元が止まりました。
こんな白い世界を小田和正さんのBGMで目の当たりにしたら、ちょっと胸キュンで掃除どころじじゃないなぁと…。
☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆
ダメダメ、今は掃除しなさい!!

閑話休題。
29日に仲介さんの紹介で五番目の業者さんと面通しをしました。
世の中に柔和とか温和とか温厚とか優しげな言葉はたくさんあるけれど、それを使うことが少なくなっていると感じる昨今、それらのほっと人を包み込むような言葉は、こういう方のためにある言葉かな、と思いました。
大工さんの世界は、とっときの『男の世界』、寡黙でニヒルないぶし銀、というイメージがあったので、一昨日お会いした方はどちらかいうと牧師さんのような印象です。
話を聞いていただいて、明けの5日に店舗を見てもらう段取りになりました。今までの各業者さんの見積書を検討してもらいましたが、やはり総体的に基本的な数字が高めなんじゃないか
というのがその方の率直な感想でした。
だよね、だよね、だよね。

内装は今まで、黒びかりしている古民家の板張りの部屋の真ん中で、開け放した縁側の向こうに緑の風がさらさらするのを見ながらお酒飲んだら気持ちいいだろうなあ、というイメージで『和風』にこだわっていました。
これ、やめます。
テレビ局のスタジオセットのイメージに方向転換します。
お客様はニュースキャスターだったり、バラエティーのタレントさんだったり、いいかも、これ。そんな雰囲気のお客さんになってくれそうな人たくさん知っています。
あの高い天井をむき出しのまま有効活用して、狭さを感じさせないよう複雑な装飾はつけず、女性がきれいに見えるような照明をつけて…。
とにかく、私自身もイメージに固執せず素材自体のコストダウンを図るべし。

あー、面白くなってきましたね。あれこれ考えながら私は年を越すことにしようっと。
来年が楽しみです。といってももう明日からのことです。

皆さま、どうぞよいお年を!
2004年12月22日(水)
年の瀬…
四番目の業者さんから見積もりをいただきました。

よく『箱もの行政』とかって言いますが、あの丼勘定ぶりぶりが身にしみる年の瀬でございます。
何千億、何百億の物件をさらっと『は〜い、3000円で、お買い上げ〜』とかオークション参加してみたい今日この頃…。

加齢すればするほど、つく脂肪はつくッ、下がるお尻は下がるッ、とかって開き直ってる場合ではないのに、かかる費用はかかるんですッ。

ぐぁぁぁぁーっ…。 

マジで泣きをいれております。
初期投下資本がこれだけかかったら取り返すまでぜってぇやめてやんねぇかんなぁ、金輪際やめねぇかんなぁッ。
と、まあ、振り出しにごそごそ戻るわけでございます。
器さえできあがってしまえば、あとはこのキャラでガーッとブルドーザーのように開店開業営業しまくるわけですが、器だよ、器、洗い場のない厨房図面なんか持ってこないでくださいよ、たかが10坪とかって馬鹿にしないでくださいよ、ちゃんと仕事してくださいよ。

さて、今更なんなんですが、このところ、開業を目指した皆様の開業日記を読みふけって夜を明かしております。その方々の姿勢や取り組み方や交渉術に触れるにつれ、奥様商売だけは絶対やめようと誓っていたわりに、何だ、私ってやっぱり奥様商売しちゃっとるじゃない、と深く猛省するのであります。
奥様ッ、お気をたしかにッ、傷は深いゾッ、塩塗りこんでやろうか〜ッ、ぐぅぇ〜ッ、負けるもんかッ、
こうして今宵も夜は更ける…、
クルシミマスイヴも近い…。。。
2004年12月14日(火)
寄せては返す波のごとく
東京では暖かい12月が続いていますが、皆様お変わりございませんでしょうか。
あれから10日、開店の見通しがたたないまま、私の周りから時間だけが過ぎてゆきます。

一番最初に見積もりをとったのが同窓生、二番目に都内の設計業者さんで、三番目に飛び込みの建築屋さん、最初に提示された数字に驚いてあの手この手と声をかけて回るのですが、予算はそのつど跳ね上がってしまい、もうにっちもさっちもどうにもブルドッグ…。
私は400万しか持っていないんだってば。
はなからそう言っているのに、あら〜、ご無体な、どうして平気でその倍額の見積もりなんか、このか弱きレディの面前につき出してこれるのでしょう。
ネットで見た業者さんは『ご要望にお答えします』と誘っておきながらお答えしてない750万、飛び込みは結局軽く足蹴の800万、みな親切な振りしてとってもあこぎだわ。
もうみんなまとめて肘鉄くらわしてやるぅッ。あら、い、や、だ…(市原悦子さんふう)そして誰もいなくなった、の世界…。
2004年12月5日(日)
店舗契約
内装の計画がまだ立たないのに契約予定日がきてしまったぞ。( ̄_ ̄;)
賃貸借の申し入れをしてから、融資決定がまだだからと店舗の契約を随分先延ばしにしてもらっていました。
あと5日ほど後にしてもらおうかとも考えたのですが、だいぶ待たせているからね、という仲介さんに従って契約をしてきました。生産が始まらないのに消費が始まってしまったようで、おう、後手後手じゃ〜。

ところで、『わら』の信金さん(縮めると『わら金』?)の近所に、材木がたくさん置いてある建築屋さんを発見しました。話だけでも聞いてもらおうとアポなし飛び込みで事務所を訪ねました。
応対してくれたのが浪花節とかうならせたらとても上手そうないい声をした専務さんですが、そういう声の持ち主って遊び人が多くないですか。(これ私の偏見?)
言外に無理そうなら断れよ、と含みつつ、お抱えの設計士さんを紹介してくれました。仕事は今とても忙しいということでしたが何とか話を聞いてもらいました。
このままコマを進めるといいんですが。

街というのは不思議なもので、自分に必要ではない情報以外あまり目に入らないものだなあと今更ながらに思います。昔自分が妊娠していた頃、町の中に、あら、こんなに妊婦さんがいると改めて気づいたことがありました。それから、自分の子供が幼稚園時代なら幼稚園世代の子供の姿、小学校中学校ならその世代の子供たち、高校ならやはりその世代の子の姿が私の視界を占めました。

(各学校でお世話になったPTAのみなさま〜、近間で開店しますからPTA行事の折りなどには是非使ってやってくださいねぇ!)

今回もそう、あの建築屋さんも普段から利用している界隈にありながら今の今まで少しもその存在に気づかなかったのです。自分が材木を必要としてから初めて材木の姿が目に入ったのでした。こんな調子だから普段から見落としていること、見過ごしていることって、きっとたくさんありますね。
2004年11月22日(月)
融資申請
改めて開業計画書をせっせと書きしたため、会社帰りの午後6時過ぎ、私は信用金庫の裏口のプッシュホンを押しました。
先週、がっくりして商工会議所から帰った私は、駄目で元々と受話器に向かい、信金の融資担当者にチラシの内容を確認したのでした。
すると今からでも相談に来ないかといわれ、(すでに窓口は閉まった時間でそれも6時を過ぎていました。)私は脱いだコートを再び羽織り、資料のいっぱい詰まったリュックを背負いなおしたのです。
「いけるでしょう。保証人さん無しのコースは審査が通りにくいが成人した娘さんがいらっしゃるから、保証人さん有りで何とか通るじゃないでしょうか。これまで長いお付き合いがあって、地元の方で、お力になれるなら是非がんばっていただきたい。」資料を並べ、今までの経過を述べ終わった私に向かって担当者さんが告げた言葉です。

あー、何といおうか、この展開は…。 
何故これが一ヶ月前に実現できなかったのでしょう。公庫では娘の名では保証人不可といわれました。当初娘を保証人にするというのも、日頃から自己責任論者を標榜している者としてはいやだったけれど、それ以外方法がないとすればいたしかたなしと、娘の名を借りることの許可を得ていたのです。
国と地方の対応の有り様の差と片付けてよいものかどうか、この複雑な気分を一体どう捉えよう…。
ひとまず私はひとつ目の高いハードルを半年かかって越えました。それと同時に失業を免れたのでした。

公庫が駄目となったとき、私は「雇用創出を条件にうたっていながら、ここで公庫さんは私という失業者を一人吐き出してしまいますね。」とその担当者に毒づいたものです。最初から、貸す気はないよ、と、どのようにしたら追い返せるかばかりに神経を使う公庫の担当者と、何とか方法はないものかと、この方法は、あの方法はと、幾つかの案件を提示してくれる信金の担当者と、例え返済利息が高くなってしまおうとも、どちらが他人に対して一生懸命であったか、私の中の良い人リストの上位者は判然としました。

それにしても、いくら信用のない生き方をしてきたとはいえ、今回ほどガスンガスンにやられるとは思っていませんでした。公庫様、あなたも人の子ならせめて私の立場にたって物事を考えて下されば、同じ断り方をされても随分丸く受け取れるのにと思うのは、私の身勝手でしょうか。
2004年11月18日(木)
そうだんかい?
商工会議所の融資相談会があるというので出掛けました。もともと猜疑心が発達してる割には人間がお砂糖の固まりみたいな私としては、商工会議所が何か知恵なり保証人の紹介なり貸してくれるんだ、とのこのこ出掛けるんです。
さあて、窓口にいたのは公庫の人間だったぞい。こりゃぁ、一度断られているのに受けてもらえるわけなぞないわいな。そうだんです、1時間以上口角ぺっぺっぺっと泡を飛ばし説明の猛りの限りをするのですが両者とも疲労困憊、私なぞ、唇が歯にくっついてしまう心地で引き上げるのです。が、しっかりと『わら』を拾って帰って来ました。
商工会議所の相談窓口にたくさんの印刷物が置いてあります。う〜む、これが聞きしにまさる誰も読まない公共印刷物の無駄遣いってか、あ、いやいや、ちょっと待て、車は急には止まれない、じゃなくて、これは…。
と私が手にした一枚のチラシ。

『創業支援融資-担保・保証人 原則不要-』えーっ?
『フレッシュ』えーっ?えーっ?( ̄ロ ̄;)『新たな事業を6ヶ月以内に開始する方』えーっ?えーっ?えーっ…ええ、ええ(今度はYESの意ですからね。)これです、これです、駄目でもともとなんだから、もう一度トライです。

私が手にしたのは地元の信用金庫のチラシでした。
2004年11月13日(土)
制度って
5月から計画を練ってきた『ろーどおぶざ開店』は結局保証人のところで頓挫しています。
あの、新創業融資制度の無担保、無保証人のうたい文句っていったい何でしょう。
自分なりに緻密に練った開業計画書は、公庫の窓口であっさりとはねられてしまいます。
『今までの職歴が…、経験が…、保証人様でもいれば…、』
つまりは経験や信用や裏打ちする経済がなければ何もできないってことじゃありませんか。
新創業融資制度とは、個人のそういった不足する事柄を埋めるための制度ではないのかと思うのですが、もともと税金で生業がたつ方々には税金を納める側で生きている人間に何が足りないかなんてことは理解できないように思われます。
税金で生計をたてている方々は、その身分保証を『税金で生計をたてている』という事実で済ませられるのだからご苦労はありませんね。
こういう事柄になると噛み付きたくなるのが私の性分ですが、実際の話が、保証人がいなくてもこうしたら貸せるという指導、レベルではなくて、こうでないから貸せない、が公庫の姿勢だから牧伸二さんだな。(んっ?やっぱり古いです?古いだなんて、牧伸二さんに失礼でしょう。)

ところで、もともと保証人がいないということから始めたこの計画なので、もう一度原点に戻ることにしました。
少ないけれど手持ちの自己資金で開業までこぎつけることができるか、計画書から見直しです。資金の洗い出しと、店舗内外装費の再計算と、業者さん探しと…、あー、それまで物件を押さえ続けられるでしょうか。

2004年11月2日(火)
振り出し…イーッ
世の中そんなに甘くないッて、まっことほんと!

私が店舗オープンに向けて当てにしていたのは新創業者向けの無担保無保証人をうたっているプログラムだったのですが、これがそうは問屋がおろさない、というくわせもの、やはり新参者には保証人がなけりゃお話になんない、ということで、計画の見直しを課せられました。
国民金融公庫で300万以上の融資申請には東京都の推薦が必要ということで広尾まで出かけました。
計画の当初から、保証人はいない、担保物件もない、もともと世の中を斜に構えて『保証人にはなりもしないがなられもしない』と猜疑心に満ちて懐疑的に生きてきたこの私、自慢じゃないが、ある意味信用のなさでは身動きがとれません。
ところが、東京都は一発サインコサインタンジェント、あっさりと、「ガンバリナサイッ!」と背中を押してくれたのです。
例の同窓生が設計したという新宿四谷のお店の、それもまた我が高校の先輩というママから伝授された、「東京都の推薦が受けられれば、それで80%はクリアだから。」のノウハウで、それなりの開業計画書を作成して向かったは向かったのですが、こんなにスムーズに受け入れられるとは思いませんでした。これならいけるでしょう、とその足で公庫の支店に申し込みに行きました。

そこから先は、前に書いたとおり。。。
とりあえず、ここまできて諦めるのも癪に障るので次回はまたまた会社を半休して、『信用保証協会』なる場所に相談に行く予定。

…道のりはまだ遥かゾッ!気合だ〜ぁっ!!q
(>。<)p!!
2004年10月21日(木)
白ヤギさんからお手紙ついた…
『先日はありがとうございました。
突然お願いしておきながら心苦しく思っておりますが、仲介さんや他の方といろいろ相談しました結果、やはり予算オーバーということで今回はお願いを見合わせることになりました。
近所に半年ほど前に開店した鮨屋さんは、坪25万という驚異的なコストで結構シックでこじゃれたお店を仕上げております。
それは極めて稀な例と重々心得ておりますが、初心者としては目指したいところであります。
突然メール差し上げておきながらまた勝手にお断りすることになり本当に申し訳ありません。
どうぞこれに懲りずに今後ともよろしくお願い申し上げます。』

同窓生は坪50〜60万の提示で、がんばっても40万の私は涙を飲むのです。(T^T)…(──┬──__──┬──)

…黒ヤギさんたら読まずに食べた…。
2004年10月19日(火)
最悪なクライアント
最初に見積もりをお願いいたします。
面積は10.4坪、営業内容は昼はお弁当&ランチ、夜は串料理中心に酒類を提供します。
なので厨房はコールドテーブル、シンク(2槽)、ガスレンジ、フライヤー、焼台、製氷機、オーブンレンジ、冷凍庫、冷蔵庫、あたりは必要と思われます。
手洗場は洋式便座と別に男性用も整えたく、手水はボール型がかわいいです。
床は石タイル、廃材風な太い梁、天井にシーリングファン、壁は珪藻土、カウンター席(7〜8席)と大きめなテーブル席(1組)、全体の店舗イメージは『和風でモダン』で上質で高級…
しかも、
内外装費、付帯設備工事費、空調工事費、いす、テーブル、家具工事、音響設備、前期厨房機器一式、設計費含めて予算は
なんと、
350万円、しか用意できません。
さらに、
見積もりと平面図を週内に用意していただけるとなおうれしい、という最悪なクライアントですが、いかがでしょうか。
 
重ね重ね無理難題をお願いいたしておりますが、やっていただけますでしょうか。
もし現況をみてからということでしたら、平日は仲介さんに動いてもらえると思いますのでご連絡ください。
また、手を引いた方がよさそうだ、と思われたときもその旨ご連絡ください。
 
私は今のところ、土・日は動けると思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。m(;-_-;)m
2004年10月17日(日)
内装はどないそう?
借りる予定の物件の前に青いビニールシートに包まれた資材が置いてあったり、蛍光管が何本も積まれて置いてあったりして、『えっ、)゚0゚(;借り手が決まっちゃったの?』とびっくりしたんですが、それは他に使う予定でたまたま置いてあったものとわかりました。

「早め早めに手を打たないと、結構そういうことってあるんだよ、業界は結局素人商売じゃないからね、いけると思ったらぱぱっと横から入ってきて商売始めちゃうよ。」と例のおすし屋さん。「だって、私のほうが最初かもしれないのに何の連絡も無しにですか。」「そりゃそうですよ、連絡なんてしたら揉めるじゃないですか。」
何だか理不尽な。でも、これが現実だとしたらまたイメージ造りから始めないといけない、しんどいことになりそうだったと冷や汗したのでした。
だって、会社の方も一応引き継ぎあるからそろそろ退職届けださないといけないなぁと3、4日前に11月末日退職の意思を伝えたばかり。
これでお店も駄目になったらいくら気ままな身といえど悲しいヒロシ、になるところでした。
ということで、やる気にエンジンかけてアクセル踏んでローからファーストに入り、あ、まだセカンドくらいかな。

今日は内装業者さん探しです。
高校の同窓生に一級建築士さんがいるのでメールしてみました。まったく記憶にもなく顔見知りでもないのですが、以前東京同窓会の幹事をしていた記憶があるような。。。
ネットでピックアップできた何社か声をかけましたが、休日のせいかあまりよい反応がありません。明日以降もう少し様子見ます。

2004年10月10日(日)
物件見学実施


内部から外


外から内部


むき出しの天井

今日は、この前の物件を知り合いの仲介業者さんと見に行きました。
チラシにあった不動産屋さんは、あのあと連絡してみましたが、「あの物件からは手を引いたから。」とつれない返事。「手を引いたってどういうことですか。シャッターに張ってあった連絡先でしたからお電話さしあげたんですが。」「じゃ、剥がし忘れてるだけです。うちはもう関わり無いから。」「関わりがないって、何か問題のある物件ですか。」「何もないけど、うちではもう扱っていないから。」「ではどちらで調べていただけばよろしいですか。」「さあねぇ。」
なんだぁ、この不動産屋さんの態度。そんなに小さな会社じゃないですよ。ちったぁ名の知られている会社ですよ。おいおい、看板背負って仕事してんじゃないんですかい?
まあ、いいや、あっしにゃあ関わりござんせん。そういう会社に手数料払わなくて済んでよかった、くらいなもんです。 (-"-#)
というわけで、知人の宅建取引業者さんと行きました。
まったくのスケルトンのその中は天井も高く、一人で何とかしようというにはちょうどよい広さです。周辺環境、通行量、まさにクリーニングのおじさんの後釜に私とはおこがましいかもしれないが、借りられたらいいなあ、という内容です。ただ、条件はもう少し譲歩してもらわねばなりません。
先週のおすし屋さん曰く、「物件が余っている今時保証金なんて死に金だから出すな、明け渡すときは現状復帰で戻すんだから、敷金礼金はゼロにしてもらえ、家賃だって一ヶ月5千円安くしてもらうだけで年間6万節約できることになるんだ、それを考えたら少しでも叩け」と、まあ大家さん泣かせのことばかり。でもまったく異論なしです。さあ、仲介さんの腕の見せ所です。見せてもらいまひょ。
2004年10月3日(日)
そそられるぅっ
近所にとても素敵にリフォームしたおすし屋さんがあります。
飲食店を開業したいといっても実際私には何の経験があるわけでもなく、「ど」がつく素人には違いなく、そんな私に「おいで、おいで、何でも聞きにおいで。」と私を誘っているような…。
う〜ん、息子曰く、「飲みに行きたいだけじゃないの?」
そうかもよ、悪い?と開き直り、さて行って来ま〜す。

思ったとおり、中もとてもシックで居心地よかったです。
驚かないでよ、18坪、内外装・厨房一切合さい含めて450万なんだって。えーっっって、そりゃないでしょ、坪25万よ、そりゃないよ、絶対そりゃない。どんな手立てを使ってもそんな見積もりどこからも出なかったんですが、私はちょっとその気になってしまいました。

あんな風にこざっぱりと清潔感があって、瑞々しい色気もあって、料理もおいしい店が構えられたらいいなぁ。
2004年9月27日(月)
かめ?かたつむり?
物件探し。
以前から気になっている店舗がありました。

1年以上前になるでしょうか、その場所はプレスがとても上手なクリーニング屋さんでした。
いつでもランニング姿でアイロンを握っていたおじさんは、私がクリーニングを持って行くと、「これはおまけだ。」とYシャツの2、3枚くらいな金額をお釣りにくれるのです。私が驚いて、「こんなにおまけしてもらっていいんですか?」と聞くと「儲けてもみんな税金に持ってかれちまうからな。」とにこにこして言うのです。
…そのおじさんが亡くなってからもう1年以上空き店舗です。
ペンキが剥げかけたシャッターに張られたテナント募集のチラシは風に弄ばれて、仲介している不動産屋さんの名前も読めません。ベテランのおじさんの後を私が借り受けるのはおこがましいかなぁ、と顔を傾けて地球を横目で見る感じで風にぷらぷらしているそのチラシを見ました。何とか不動産屋さんの電話番号を読み取り、敷金とか礼金とか書かれている数字のゼロの数を数えました。
う〜っ、家賃12万かぁ、高いもんだなぁ、12万捻出するには、600円の丼ものを200個、月に20日、1日10個は家賃分として、電気・ガス・水道・通信費に原材料、人件費入れたら1日何個売らないといけないんだ?雨の3日も降ってお客さんぱたっと来なくなったら冷蔵庫の中の材料はいかれちゃうの?
…頭の中で数字が渦のようにぐるぐると巻き始めるんです。
でもね、渦がうずうずうずうず、もやもやもやもやしているんですが、何かに静かに背中を押されているようで、そしてそれは少しも嫌な感じではないんです。
気負うという感じも当てはまらないし、今は親戚一族郎党の反対も、その対極にある周囲からのエールも同じ小さな渦というか輪の中にあって、それらがすべて開業までへの一環に思えます。
5月の末に「開業!」の思いに足を踏み入れてから、かめやかたつむりと同じテンポの歩みですが、知っています?かめやかたつむりって案外足(?)が早くてふと気づくと思いがけない場所まで進んでいるものです。   
2004年7月17日(土)
非難GOGO
いまどき飲食店をはじめるなんて、あなたいくつだと思ってるの、( ̄_ ̄;)と非難ごうごうの親族一族郎党を蹴散らして行くぞ花も嵐も踏み越えて、非難GO!GO!てなもんじゃ。
いけいけ!脱サラじゃあ〜い。
とか強がってみるんですが、なんつたって小心者のこの私、ふと気づけば、脱サラなんて言葉自体が妙に古いなぁ、とため息ついている感じです。
せめて、ベンチャー!!くらいな鬨の声をあげんとね。
外郭がぼんやりしていて、やるぞっ、と決心してから資料集め、イメージング、コンセプト、と何だかあっという間の2ヶ月、まだ開業計画書を前にして悪戦苦闘、難儀難題、呻吟艱苦、魑魅魍魎…、ま、このへんでいいか…。。。
ところで、
昨日、国民金融公庫という場所に生まれて初めて足を踏み入れ、融資申請のための説明を受け、申請書類をいただいてきました。
この4枚の紙切れが始めの一歩、今後10年を超えるかもしれない時の流れを託すことになると思うと、何か抱きしめたい気分になる私は案外ロマンチストかもね。
2004年5月30日(日)
お店やろう!

昔昔、『まいにち、まいにち、僕らは鉄板の〜』という歌がはやって、それを私は『〜僕らは鉄観音』と覚えてしまった。
鉄観音はとても高価な烏龍茶で、その丸まった茶葉がふんわりと開ききったときには、うあ〜ッと、のけぞりそうなくらいの芳醇な香りがカップいっぱいに広がり、( ^-^)_旦~~ 
それから、一口含んだときの、思わず目を閉じて瞑想にひたりたくなるほどまろやかな奥深い味に、のーてんきに覚えてしまった『〜僕らは鉄観音』を深く深く反省したものでした。

でも、それ(フレーズ2度目:のけぞりそうなくらいの芳醇な香りがカップいっぱいに広がり、それから、一口含んだときの、思わず目を閉じて瞑想にひたりたくなるまろやかな奥深い味)は、上質な日本茶と同じ味で、そういえば、烏龍茶も紅茶もルーツは日本茶の木だと聞いたことがありますが、まったく納得したものです。
本当、完璧においしかった。 )^o^(

前振りが長くなりましたが、実はこの頃『まいにち、まいにち、僕らは鉄板の〜』にひどくめげているのです。 (/_;)
40代後半でのリストラ、苦難苦節荒行を経て、ようやく50代で再就職を果たしたものの、いただくお給料はほんの僅かで、しかも高齢者救済事業団などと憎まれ口をきかれ、失業時代に少しずつ残し蓄えた貯金の中から生活を支えるために毎月持ち出し。。。
こんな風な生活を『TBS:からくり〜みんなの替え歌コーナー』に出てくるリストラサラリーマンのように笑い飛ばす才もなく、高校生の息子相手にうじうじと愚痴る日々…。
いかん、いかん、この時間の過ごし方は精神衛生上、ヒジョーによくない!
というわけで、自分で自分の働く場所を作ろう!と思い立つにいたるのでした。
働いているのに精神的に疲弊してしまうことより、働くことで今より少しは充足した時間を過ごすこと、これが望みです。


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